切迫早産で入院!いつまで入院が続くのか!?私の体験談
こんにちは。まつこです!
2人の男の子がいるママです。
私は長男の妊娠中に切迫流産、切迫早産で合わせて4ヶ月も入院しました!!
入院中に役立った持ち物についてはこちら
最初に入院したのが16週3日。その後一度退院して、再び25週2日から入院し、退院したのは37週に入った日です。その後無事に長男を出産しました。なぜ、それほど長く入院することになったのか、長く続いた入院生活を振り返ってみたいと思います。
私は長男を妊娠する前から、子宮内膜症と子宮腺筋症がありました。腺筋症があって子宮自体が硬いので、妊娠中に何かあるかもしれないなとは思っていました。妊娠初期は、普段と変わらない生活をしていました。
16週1日、夜中に足の鼠径部とお腹の下の方が痛くなりました。2日目にも夜中に痛みが強かったので、病院を受診しました。そこで赤ちゃんの様子をエコーで診てもらい、元気にしていることが分かってほっとしました。
しかし、痛みが次の日の夜中もあり、かなりの痛みでした。夜中に痛みで目が覚めて、痛くてなかなか寝られない状態でした。次の日は妊婦検診だったので、その時に先生に痛みのことを伝えると、念のために入院することになりました。
入院の診断名は切迫流産でした。まだ16週だったので、お腹は全くでていなくて、痛むとき以外は元気だったので、1週間くらいで退院できるかなぁ?と楽観的に考えていました。
入院が始まると、毎朝赤ちゃんの心音を確認しました。赤ちゃんは元気でした。痛みが出た時には、ウテメリンを内服して、それでも痛い時はお腹の張りを抑える筋肉注射をしました。この注射がめちゃくちゃ痛かったです。昼間はあまり痛みがなく、夜になると痛み出すので、夜に注射になることが多かったです。だいたい、一日1回は注射を打っていたと思います。
先生から、
「お腹が大きくなる時に、引っ張られて痛みが出ているかもしれないね。」と言われました。私の体感的にもそんな感じでした。お腹の中が痛いのではなくて、お腹の下の方の表面が痛い感じでした。
1週間くらいだろうと思っていた入院は、結局19日間になりました。退院したのは19週0日でした。時々お腹が痛くなる以外は元気なので、入院生活はとても長く感じました。
お腹の痛みが少し落ち着いてきたので、家で安静にして生活してくださいということで退院になりました。
先生からは、
「お腹が大きくなってきたら切迫早産になりやすいから気を付けてね。また入院になるかもしれないね。」
と言われました。え、また入院になるの!?
とちょっとびっくりしたのを覚えています。
退院してからは、家でゆっくり生活していました。先生からなるべく安静にと言われていたので、なるべく横になって、のんびりしていました。
退院してからの妊婦検診では、子宮頚管長を測るようになりました。この長さが短くなると切迫早産になると言われたので、この長さをキープしないといけないなと思いました。
20週3日の頚管長は36mmでした。22週3日は4mmで、大丈夫と言われました。
しかし、24週3日の検診で、35mm~23mmで赤ちゃんが下に降りてきている。
と言われました。
そして25週5日から入院することになりました。その時の頚管長は18mmでした。
2回目の入院では、ウテメリンの点滴をすることになりました。点滴はいつまでするのかな。と思って看護師さんに聞いてみると
「多分ずっとだと思うよ~」
という返事。
がビーン!!
そうなんだ!ずっと点滴し続けるのね。頑張ろう・・・
入院してからは、毎日のNSTでお腹の張りを確認。張っていたら筋肉注射。1週間に1回の検診で頚管長を測る。シャワーは週に1、2回でした。
シャワーは点滴したままどうやって入るのかな?と思っていたのですが、シャワーに入る直前に点滴を抜き、腕に刺してある針はそのまま残してテープでとめる。その状態でシャワーに入りました。腕に針が刺さったままシャワーに入ることに、最初は戸惑いましたが、だんだん慣れました。
また、点滴は漏れたり腕に痛みがなければ、けっこう長い間刺したままにしていました。2週間ほどだったかなぁ。あまり長く刺していると感染症等の危険があるから、定期的に針を入れ替えないといけないと看護師さんが教えてくれました。
私は、あまり点滴が漏れたり、腕が痛くなったりしなかったので、針の差し替えは最低限だったと思います。それでも、両腕に点滴の針の跡が今でも残っています。あの時頑張ったな、という自分自身の勲章のようなものです。
長男が大きくなったら、そのことも話そうかなと思っています。
入院して1カ月と少し経った頃、検診で頚管長が15mmになっていました。入院していたA病院は総合病院でしたがNICUがない病院だったので、頚管長が短くなると、もっと大きいB病院に転院しなければいけないのです。
30週6日。B病院に転院することになりました。
なんと!!救急車での転院でした。
いつ赤ちゃんが産まれてもおかしくない状態だったので、点滴をしてベッドに寝たまま救急車で運んでもらいました。人生初の救急車でした。
病院に到着して内診をすると、頚管長は9mm!
私は、妊婦のICUである、NFICUに入院しました。そこでは、重度の切迫早産の妊婦さんがたくさんいました。毎日、週数の少ない赤ちゃんが産まれていると看護師さんが言われていました。30週だった私は、もういつ産まれても大丈夫だからね。という雰囲気の先生や看護師さん達の様子に、ほっとしました。それでも、正期産と言われる37週までは、絶対にお腹の中で赤ちゃんを育てたい!!と強く思っていました。
その頃、私の点滴はウテメリンがほぼマックス。マグセントも使っていました。ウテメリンは長期間使用すると、肝機能の数値が上がる副作用があります。血液検査で肝臓の数値が上がっていたので、ウテメリンはマックスから中止することになりました。
31週6日
私は、あまりウテメリンの効果を感じていなかったので、0にしても大丈夫だろうと軽く思っていました。ところが、ウテメリンを0にしたその日の夜、ものすごい張り返しがきて、頻繁にお腹が張って痛くなりました。3分に1回?もっと?あれ?これって陣痛なのかな?と思っているうちに、先生が子宮口が開いていないか何度も確認に来ました。
旦那も、面会時間が終わって帰宅したのですが、また、呼び戻して来てもらいました。
私は、まだ赤ちゃんはお腹の中で育てたい!と思っていたので、お腹の張りが収まるように祈っていました。旦那も、手を握っていてくれました。
何度も陣痛のような痛みと張りがありましたが、だんだん収まっていきました。ウテメリンの張り返しを乗り越えました。
そのまま、NFICUに32週2日までいました。マグセントも使える期間全部使って終了になりました。それでも赤ちゃんは産まれませんでした。やった!乗り越えた!
その日に一般病棟に移動しました。もう点滴はなしです。
35週3日。B病院を退院しました。
そのまま、またA病院に行き、37週まで入院しました。出産を希望していたA病院は、37週越えていないと出産できないそうで、それまでは入院しておいた方が安心だということで、A病院にまた入院しました。
看護師さんも先生も、お帰り~!!と心から喜んでくれました。すごく嬉しかったです。
そして、37週0日。晴れて退院することができました。
その4日後、長男は無事に産まれました。元気に産まれてきてくれて本当によかったです。
結局、入院期間は切迫流産と切迫早産合わせて4カ月を超えました。とても長い期間でしたが、先生や看護師さんのお陰で、早産にならずに出産することができました。もし、早産になったとしても、赤ちゃんを助けてもらえるという安心感はとてもありがたかったです。私の入院生活を支えてくださった皆さんに感謝しています。そして、無事に産まれてきてくれた長男に感謝です。